オリンピック中の今だからこそ相撲問題について考える

初めて投稿する者です。今回はオリンピックが開催された事でマスコミの報道がしばらく収まり、落ち着きを見せた今だからこそ貴乃花のこと、相撲のことついて書きたいと思いました。

事の発端となったのは日馬富士による貴ノ岩への暴行事件です。このことをきっかけに、貴乃花相撲協会と対立することになり、連日マスコミは貴乃花を「腐敗した相撲協会と対立する正義のヒーロー」として報道しました。私自身、現役横綱による暴行事件はとんでもない事だと感じますし、相撲協会に隠蔽体質があるのは事実だと思います。ただ、私が違和感を感じたのは、貴乃花に対する「改革者」や「正義のヒーロー」としての評価です。

彼はそもそも今年解任されるまで8年間も理事を務めてきましたが、彼が何か具体的に改革を行ったという事実はなく、2014年から始まった、力士が相撲協会と直接雇用契約を結ぶというある種画期的な改革に最後まで反対していたのは貴乃花親方です。さらに、貴乃花部屋内でも暴行事件が起こっていたことは明らかになっています。彼の公式ホームページや言動をみるに、彼を改革者というよりは原理主義者と評する方が正しいのではないかと感じます。「神事としての相撲」こそが正義で彼が認めない相撲は「相撲」ではないというスタンスです。

彼や彼を賛同する者は、お互いががっぷり四つで戦う、いわゆる「ガチンコ相撲」が至高で(特に横綱は)、白鵬が使うようなかち上げ、張り手など言語道断だと切り捨てます。彼を盲目に支持するものはモンゴル人の相撲は邪道であり、実績も偽りのものであるかのように主張しています(口汚いヘイトスピーチ付きで)。しかし、私は相撲の「神事=(文化的行事)」としての側面と「ガチンコ(=スポーツとしての競技性)」を両立して強く論じることは矛盾があると感じています。

本当に相撲協会を改革していくならば、その先頭に立つべき人間はおそらく貴乃花ではなく外部の人間でしょう。そして、おそらく部屋制度を始めとした古くからの制度を変えていくことをしなければ、貴乃花支持者が声高に叫ぶ「改革」は不可能でしょう。なぜなら、貴乃花もまた同じ穴の狢だからです。